水素社会到来に複雑なガス業界 

  トヨタ自動車が水素で走る燃料電池車(FCV)を発売するなど、2015年は水素社会元年とも呼ばれる。水素で発電する家庭用燃料電池「エネファーム」の拡販に力を入れるガス業界にとっても追い風かと思いきや、関係者の表情は硬い。

天然ガススタンドとの二重投資に懸念

  FCVに水素を供給する水素ステーションの整備状況を見ると、ガス会社の名前は少ない。FCVを普及させるにはガソリンスタンド並みに水素ステーションを増やすことが欠かせない。

  政府は2015年度中に東名阪と九州北部を中心に100カ所を整備する計画だが、現時点では政府の補助金対象となったもので42カ所にとどまっている。水素事業に積極的なJX日鉱日石エネルギーや岩谷産業、そしてトヨタを後押しするための豊田通商の3社(関連会社含む)で全体の9割を占める。これに対し、ガス会社は東京ガスが2カ所、大阪ガスと東邦ガスが1カ所ずつのみだ。

  もちろん、建設費が最大5億円程度という投資負担に加え、開業後も当面はFCVの台数が少なく、開店休業状態が続くことは明らかで、投資に二の足を踏むのも仕方ない。とはいえ、エネファームで水素社会をけん引するガス業界全体でも、JXや岩谷ら個社に全くおよばないというのは、いくら何でも少な過ぎる。特に水素戦略を展開する東京都のお膝元の東京ガスは、14年12月中旬に関東初の商用水素ステーションを練馬区内に開業し、存在感を示したが、その後はさいたま市内に予定しているだけ。いまだ都内に2カ所目をつくる計画はない。

  ガス業界が消極的な理由のひとつには、まず圧縮天然ガス自動車(CNG車)の存在がある。ガソリンや軽油より燃料代が安く、クリーンな排気で二酸化炭素(CO2)排出量も少ないことをうたい文句に、普及拡大を打ち出しているが、その台数は4万台程度で頭打ち。燃料を補給する天然ガススタンドが全国でわずか250カ所程度しかないため、運送用トラックやゴミ収集車など、定期的にスタンドのある場所に戻ってこられる商用車に限られてしまっている。

  だが、日本ガス協会では30年にCNG車の普及台数を50万台まで増やす計画を掲げている。乗用車中心のFCVに対し、商用車が多いCNG車とはすみ分けが可能ではあるが、目標達成には天然ガススタンドの整備を優先しなければならない。ガスと水素の併用型スタンドをつくれば二重投資になり、しかも両方とも当面は来店台数が少なく、採算に乗るのは相当先になる。…

  さらに、FCVと両輪で水素社会をけん引すべきエネファームも、特に大手ガス会社にとっては悩みの種になる。まずは16年度に始まる電力の全面自由化だ。電力会社が独占している家庭用など小口の小売市場が開放され、さまざまな事業者の参入が予想される。大手ガス会社も既に自由化されている大口向けで電力事業を手掛けている上、家庭向けでガスの顧客を抱えているため、ガスと電気のセット販売などが提案でき、他事業者よりアドバンテージを持つ。東京ガスや大阪ガスなどの大手は既に参入を表明している。

エネファーム普及後の最悪のシナリオ

  そこで今、ささやかれているのは、エネファームを必死になって売る必要性があるのかということだ。エネファームはガスを改質して水素をつくり、燃料電池で発電し、そこで一緒に出た熱を給湯にも利用する装置。電力会社の家庭用「オール電化」に真っ向勝負を挑めるものであり、ガスを大量に使ってもらう重要な商材でもある。

  ところが、これからはガス会社がガスも電気も売れるようになる。もし、ある家庭がガス会社から電気も一緒に買ってもらえるなら、極端な話、オール電化機器を導入してもらっても良いのだ。営業マンにとっても、高価なエネファームを売り込むより、お得な電気を勧めるほうが顧客の歓心を買いやすい。

  そして、エネファーム普及後の最悪のシナリオがある。エネファームの中の改質装置がなくなることだ。もし、配管から水素が直接、送られてくれば、ガスの改質装置は不要になる。その分、価格は安くなり、サイズも大幅にコンパクトになる。既に技術的には問題なく、メーカーはすぐにでも商品化できるという。

  実際、東芝や岩谷など4社が山口県で改質装置のない純水素型燃料電池の実証実験を始めた。このタイプが普及すれば、これまでガスが担ってきた給湯はエネファームが行い、台所のコンロは電気式にしてエネファームの電気で賄える。つまり、水素があればガスはいらなくなる。

  しかも、エネファームでガスを改質する際にはCO2が発生する。温暖化対策で日本に厳しいCO2削減目標が課された場合、これが問題視される恐れもある。海外からCO2フリーの水素を大量輸入し、これを家庭でも使ってCO2削減目標を達成しようという方針が下されるかもしれない。そうなれば、ガス会社は今のガス配管を水素配管に切り替えなければならない。これこそが水素社会の理想形だが、ガス会社にとっては今の事業の仕組みをすべてひっくり返されることになってしまう。それはいずれ到来するだろうが、そのスピードが速いほどガス会社にとっての負担は膨大となる。

  エネファームの導入目標は30年に全世帯の1割にあたる530万台。FCVが想定以上に普及し、水素社会への転換を求める声が強まれば、ガス業界は厳しい事態に直面しかねない。

 (文=ジャーナリスト/須山一樹)