日本語教師は子育ての経験も活かせるシゴト

 

 結婚や出産を機に家庭に入った女性が、再び社会復帰しやすい職業として近年注目を集めているのが“日本語教師”。日本語を学ぶ外国人に日本語を教える仕事だが、母国語とはいいながらも、専門知識や素養が求められる職業だ。現在のところ、日本語教師になるための明確な資格はないので、ボランティアで教える場合はいつでも始められる。しかし、日本語学校などで職業として教鞭を執る場合には、日本語教育能力検定試験の合格者であることや、日本語教師養成講座で420時間コース修了者、大学や大学院の日本語教育を専攻していることなどが求められる。

 東京中央日本語学院(TCJ)で日本語教師を務める増渕直子さん

 一定の専門知識が必要で決して誰にでもなれるものではないが、母国語ということもあり、他の外国語よりも敷居が低く、働き方も選択できるため、いったん労働現場からリタイアした主婦が挑戦しやすく人気がある。そこで今回は、実際に出産・育児期を経て日本語教師として社会復帰した女性に、日本語教師の魅力を訊ねた。

日本語教師になる気はなかった!?

 お話を伺った女性は、現在、東京中央日本語学院(TCJ)で日本語教師を務める増渕直子さん。2013年4月に長男が高校生になり寮生活を始めたことから、自由な時間が増え、TCJで1年間の日本語教師養成講座に通い始めた。そして、コース修了後の2014年4月から日本語教師として非常勤講師として勤務している。

 養成講座修了後からすぐに日本語教師としての就職口が決まるなど、とんとん拍子に見える増渕さんだが、実は外国人にボランティアで日本語を教えていた期間が長い。

 「今から10年以上前なのですが、2003年に長男が小学生になったのを機に、NPO法人JCAで日本語を勉強する外国人のお手伝いをボランティアで始めました。たまたま地元で日本語を教えるボランティアのための無料講座の募集があるのを見掛けて。多数の応募があったようですが、ラッキーなことに受講者の枠が得られたんです。そして、そこで出会った先生に近所の図書館での週1回のボランティアに誘われて。長男が中学を卒業するまで、そこでずっと日本語を教えるボランティアを続けていました」

 とはいえ、当時の増渕さんは日本語教師として本格的に社会復帰をするということはあまり頭にはなかったという。「長男が高校に入学して寮生活になったのを機に、TCJの日本語教師養成講座に通い始めましたが、再就職というよりも日本語を教えるための勉強をもう一度体系的にしたかったというのが動機です。だから、またボランティアに戻るくらいのつもりだったんです」と増渕さん。実際には、養成講座の修了時に、TCJで偶然求人があったことや、同期の友人に誘われたこともあり、軽い気持ちで応募したところ、採用が決まったとのことだ。そんなまるで流れに身を任せるように現在のポジションに辿り着いた増渕さんだが、そもそも日本語教師に関心を持ったのは意外なキッカケだという。

英語が好きだった

 「一番最初はどちらかと言うと英語が好きだったので、英語のほうを一生懸命勉強していたんです。大学時代にニュージーランドへ旅行した際にとても日本語が上手な現地の人に出会いました。そして『どうしてそんなに日本語が上手なの?』と訊ねると、ニュージーランドにある日本語の専門学校で勉強をしていると。その時に日本語教師に興味を持って、帰国後に早速日本語を教えるための養成コースを2カ月間受講しました。ただ、当時の日本語教師は待遇面などで安定した職業とはいえず、卒業後は外資系メーカーに就職して秘書をしていました」

 そんな増渕さんだが、大卒で就職した企業はわずか1年間で退職する。「卒業後に就職した会社では、秘書の見習いで、私にとってはとにかくつまらなかったんです。外資系企業なので、もっと英語を使って仕事ができるのかなと思っていたんですが、事務的な作業が多く、私には向いていなかったんですね。それでもう少し英語力をつけたいと思い、1年で辞めて、半年間、イギリスで語学学校に通いました」

 そして、その後は、以前実家にホームステイしていたスイス人の友人を訪ねて1カ月ほど一人旅をした後に帰国。帰国後は英会話学校に就職し、受付秘書業務に従事し、約2年後に結婚退職。後にご主人の転勤でアメリカに転居することになり、ここでまた日本語教師という現在の経歴に結びつく転機が訪れる。「主人の仕事の関係で、アメリカのメリーランド州で過ごしたのは1年間だけだったのですが、せっかくなので、大学の夜間コースでアメリカの歴史を学んだり、ボランティアによる困っている学生対象の英語コースを受講したりしていました。先生たちが自宅に招待してくれたりもするので、アメリカ人の一般生活を知る機会にもなりました」と増渕さんは振り返る。さらにその後は日本で長女を出産した後、3年後に転勤で今度は香港へ。約2年後に長男を出産した後、翌年に日本に帰国し、しばらくは育児中心の生活を過ごしていたそうだ。

日本語を教えることは”恩返し”

 このように学生時代から英語や外国に興味があり、さらに留学やご主人の転勤で海外と日本を行き来する生活が続いた増渕さんだが、最初、ボランティアというかたちで日本語を教える手伝いを始めたのには、次のような想いがある。

 「自分が海外にいたときに、ボランティアの方々に英語を教えていただきました。他にも、海外でいろいろ親切にしていただいていたので、その恩返しをしたい気持ちが強いんですよ。日本語教師養成講座に通っていた仲間の中にも、やはり海外で外国人にすごく助けてもらったから恩返しをしたいっていう人が多くいましたね。なので、日本で困っている外国人の方々をサポートできたらなぁという思いが自然とありました」

 と、日本語教師への道のりを振り返る増渕さんだが、専業主婦として育児に専念した経験が日本語教師として活かされることも多いと語る。

 「日本語教師に限らず、やはり子育て経験は”人に何かを教えること”に活かされると思うんですよね。お料理教室でも何でもいいのですが、何かを教えるっていうのは特に女性は向いているのかもしれない。子育てによって忍耐もつきますし、励ましたりとかもね。反対に、学生とのつきあいから子どもとの関係もちょっと勉強になることもあります。娘と同じぐらいの年齢の学生もいますし、今の若い人たちがどんなふうに考えているのかというのも理解できたり。若い生徒と接触することで、若さを保つこともできます(笑)」

主婦に向いている職業

 また、日本語教師は主婦にとっては家庭と両立しやすい職業とのこと。「企業に勤めて、毎日働いて、朝から晩までの仕事というのは私にはちょっと無理でした。もちろん、出産前に仕事をバリバリやっていた方だったら、子育て期間中2年ぐらい休んでもまた復帰が可能だと思うんですけど、私みたいに緩やかなことをして、子育てをして、また社会復帰という場合には企業勤めでというのは難しいんです。その点、日本語教師は、主婦業をしっかりやりながらできる責任ある仕事です。それでいて自己実現にもなります。やはり、誰かのお母さん、奥さんという役割りだけではなんとなくさびしいし、もったいないですよ。一度家庭に入った方でも実践を重視している日本語教師養成コースを修了すれば先生になれます。私でもできたんだから大丈夫です。あとは本当に好きかどうかですね」と増渕さん。まさに“好きこそものの上手なれ”を地で行っているような増渕さんだが、日本語教師1年生としての実際の生活について次のように話してくれた。

 「日本語教師って学校だけでなく家での作業が結構あるんですよ。主に授業の準備です。慣れてくれば楽になるんだと思いますが、まだ1年目の私には、勉強しないといけない事もたくさんあるので大変です。とはいえ、ちょこちょこと空いた日常の隙間時間にもできるのでそんなに負担にはなりません。私なんかは犬の散歩をしながら『明日の授業では、どんな文章を使おうかな~……』とか考えたり」

日本語教師の魅力

 そんな日本語教師1年生として奮闘中の増渕さんだが、日本語教師の魅力について「やはり学生が理解してくれキラキラと目を輝かせるときが一番うれしいです」と明かす。さらに、「あとはちょっと大きなことを言っちゃうと、例えば日本と外国との関係が悪くなったときでも、その国の生徒たちに、微力ながらも日本の良さを伝えることで、日本に対して良い印象を持ってくれれば、そういうのが積み重なって国同士の関係もよくなるんじゃないかなと思うんですよ。年とともにだんだんと自分が生きているからには何か世の中の役に立たなければという気持ちが強くなるものなので、それを実現できるというのも魅力に感じます。それに日本語というのは学んでみるとすごく奥が深くて母国語とはいえ難しい。日本人でも知らないことがたくさんあって興味深いです」と話した。

 増渕さんは日本語教師という現在のお仕事をまずはご主人が定年退職を迎えるまでのあと10年ぐらいは続けたいとのこと。「10年間、何かを継続的にやると達成感があると思います。とりあえず、節目として10年と考えていますが、日本語教師に定年はないようですから……。途中くじけそうになるときもありますが、好きなことだから頑張れるので、細く長く続けていけたらと思います。これは、日本語教師に限らないことですが、これから何かをスタートしようと検討している方は、それが本当に好きかどうかをもう一度考えてみてください。好きなことならあとはどうにかなると思います」と、専業主婦から再度社会復帰を考える人にアドバイスを送ってくれた。